ブラウンシュガーは偉大だ

先日のこと、レストランで食後にコーヒーを注文した。ちょっと苦かったので、お砂糖を少し…すると、一瞬何が起きたかわからないほど、コーヒーの味が奇妙。
店員さんに「これ砂糖ではなく塩なのですが」と言って塩の入った容器を返すと、今度は色違いの蓋のついた容器に入ったお砂糖を持ってきてくれた。待って、ちょっと待って、違うんです。そういうことではなく。この瓶の中の白い結晶が塩だとわかったのは、何故だと思う?

一部始終を見ていた夫が言った。「けっこう入れるなーと思ってたんだよねぇ。」
違います。そういうことでもないです。量の問題では、ない。

砂糖と塩の容器は同じ形で、砂糖の容器の蓋はオレンジ色、塩の容器の蓋は白だった。僭越ながら、提案したい。店員さんですら間違えるような似ている容器に砂糖と塩を入れないこと。そのような容器を使用したい場合には、白砂糖の使用をやめ、ブラウンシュガーを使用すること。今回起きた間違いが、後にも先にもこの一回だけであるなんて、とても思えない。

ブラウンシュガーは偉大だ。小学生の頃、学校の図書室から借りてきて読んだ何かの小説に、母親たちがおしゃべりに興じている間に退屈した子どもたちが砂糖と塩の容器の中身をまるまる入れ替えるといういたずらを繰り返し、母親たちがたびたび塩からいコーヒーを飲む羽目になり、ついに母親はブラウンシュガーを買うことにした、というようなエピソードがあった。そんな大胆ないたずらをするなんてと、子どもながらにずいぶんと衝撃を受けたことを今でも覚えている。
私の夫はあまり台所に立つタイプではないが、あるときベイクドチーズケーキを作ってみたくなり、レシピを見ながら一生懸命作ったそうだ。とても美味しそうなケーキが焼けたのに、一口食べて、砂糖と塩を間違えたことが判明。塩の塊のような味だったらしい。

ブラウンシュガーは偉大だ。ついでに、あんなにシンプルな形状にも関わらず唯一無二の存在である角砂糖にも心からの拍手を送りたい。

ところで、ブラウンシュガーといえば。タイ語でお砂糖のことをナムターンという。スィー・ナムターン、つまりナムターン色というとそれは茶色のことだ。「お砂糖の色ということですね?」ドヤ顔で言う私に、先生が言った。「でもブラウンシュガーのことは、ナムターン・デーン(赤い砂糖)といいます。」
そうですか、そうきましたか。でもね、だから好きよ、外国語の勉強。

ありふれた日常だった日々が死ぬほど懐かしくなるとき

おしゃれなカフェと場末の飲み屋を足して割ったみたいなお店とでも言おうか。待って、ちょっとだけ待って、そんなのないしなんて言わないで。もう少し話聞いてもらってもいいですか。

たとえば、あのデパートの横の裏道を入っていったところにある、鎖みたいな名前が付いた文学カフェか、その斜向かいにあるパリっぽい名前のカフェとか。或いは大通りの向こう側、路面電車の線路沿いに坂道をずっと上っていって、古めかしいビルの角を曲がった通りにある、サイフォンでコーヒーを淹れてくれるカフェ。私のイメージだと、あんな雰囲気なんだけれど。おしゃれの中に潜む場末感。だいぶ照明を落としてあって、夜遅くまでやっているお店で。カップルなんかより、同性同士、男女でも友達同士っぽい人たちが二人で来て静かに話し込んでいるような。

まあ、とにかく場所はそんな感じのお店のイメージで。仕事帰りの20時頃に待ち合わせて、ジャケ買いだったけど当たり引いたね~くらいのワイン飲みながら、美味しいんだか美味しくないんだかわかんないようなチーズだの、やたら酸っぱいだけのピクルスだの、市販のポテトチップスだのつまんで、しまいにはなんかお腹すいてきちゃったとか言って、でも軽食なんかは置いてないか品切れか、それこそ今日はシェフいないんで、なんて言われたりして、結局ケーキを食べながら、ヴィンテージっていうか、スプリングの具合が明らかにおかしいくせに座り心地は嫌いじゃないみたいなソファに座って、答えの出ない悩みを永遠に語り合っているうちに、気づいたらかなり深い時間、みたいなやつ。

それか、ビールをごくごく飲みながら、この間行った旅行の話とか仕事の愚痴とか、最近誘われて行ったデートがいかにつまらなかったかとか、予告編が面白そうだった映画の話とか、とりとめなく話しながらアジア料理か何かをもりもりむしゃむしゃ食べて、お店を変えてデザートタイムにしようかってカフェに行ったんだけれど、スイーツ食べ終わってなお話は尽きなくて、そのままワインを注文して話し続けて、よく考えたら閉店時間過ぎちゃってるんだけどお店の人もなんか知り合いみたいな人と話し込んでるし、ほかにもまばらにお客さんがまだ残ってて、金曜だしなんかそんな感じなのかしら、なんて思いながら、なんだかんだで空気がキンキンに冷える頃ようやく帰路につく、みたいなやつ。

そういうの、最後にしたのいつだったかなあ。

川のある街

川のある街に住んでいる。

週末、夕食に行ったお店からの帰り道、雨に濡れた橋を歩いて渡るとき、ふと以前暮らしたヨーロッパの街の景色がフラッシュバックした。

仕事帰りに毎週のように通っていた居酒屋からの帰り道、橋の向こうのトラムの停留所まで歩いていくさま。ほろ酔いの顔をひんやりかすめる風が心地よい。振り返れば、丘の上にそびえる大きな城。橋を半分以上渡ったあたりから振り返ると、ちょうど絵葉書のような景色になる。橋を渡った先に鎮座する立派な建物は、国民劇場。週末を迎えた劇場前の停留所には、トラムを待つ、いつもより少し陽気な人々。

私の家のほうへ向かうトラムは行ってしまったばかりのようだ。国民劇場の前を過ぎて、さらに歩く。デパートの角を右へ曲がったところに、別の停留所がある。停留所の周りは、すでに酔っ払った楽し気な人々であふれ、目の前のピザ屋からオリーブオイルの焼ける匂いがただよう。

なんだか今日は気分がいい。仕事の疲れとアルコールで体は少し重たいが、もう少し風に当たっていたい。私は右手に持っていたかばんを肩に掛け、家まで歩いて帰ることにした。

 

嘘。全部、幻想。

でもね、ふと、はっきりと浮かんだんだ。胸がぎゅんてなるくらい懐かしい、「私の街」の光景だった。